承久の乱合戦供養塔
承久の乱合戦供養塔のある各務原市前渡(まえど)は、鎌倉時代は大豆戸(摩免戸、まめど)と呼ばれており、木曽川の渡河地点でした。
承久3年(1221)6月5日、承久の乱において、後鳥羽上皇軍、鎌倉幕府軍が木曽川を挟んで対峙しました。幕府軍の北条泰時らが大豆戸を渡って上皇軍を攻撃し、合戦は幕府軍の勝利に終わりました。供養塔は昭和初期に前渡の各地から掘り出され、前渡不動山中腹に集められています。
現在も毎年6月に供養祭が行われています。
承久の乱合戦供養塔のある各務原市前渡(まえど)は、鎌倉時代は大豆戸(摩免戸、まめど)と呼ばれており、木曽川の渡河地点でした。
承久3年(1221)6月5日、承久の乱において、後鳥羽上皇軍、鎌倉幕府軍が木曽川を挟んで対峙しました。幕府軍の北条泰時らが大豆戸を渡って上皇軍を攻撃し、合戦は幕府軍の勝利に終わりました。供養塔は昭和初期に前渡の各地から掘り出され、前渡不動山中腹に集められています。
現在も毎年6月に供養祭が行われています。