加佐美神社
「延喜式内社で市内随一の歴史と本殿をもつ神社」
三代実録曰清和天皇貞観6甲申年(864)8月15日美濃國従五位下加佐美大神に従五位上を贈る。(旧暦)美濃雑事記加佐美神社は廷喜5乙丑年(905)各務郡曽原荘古市場にあり八幡宮と称す廷喜式明細帳曰美濃國各務郡七座の内、加佐美神社は廷喜8成辰年(908)式内社に列す美濃神名帳曰加佐美神社は二十二社の内、正四位下笠見明神とあり。蘇我石川麿公は往古曽原の県主たりし時百姓を撫綏、勧励老少大懷、因而、薨去後神霊、崇敬、し祭祀奉るとあり、「蘇原」の地名は、蘇我氏の領有に由来するといわれており、この蘇原に在住この地域を治めました。大化改新後右大臣となり大化5(649)年没。墳墓(当神社西に蘇原宮代町二丁目)の丘にあり宮塚と呼ばれています。山田寺大寺院跡礎石郡(当神社南西に蘇原寺島町)現在の山田寺地内、白鳳時代(大化5)年建立とあり、大和の山田寺に関係深いことから、石川麿公の菩提寺として石川麿公の子興志が建てたとされ、その艮に飛鳥田神を鎮守として祀ったとされています。なお、近くに(清住町)式内社飛鳥田神社(正三位下飛鳥田大神)があり、蘇我氏との深い関係が伺えます。 本殿(1687年建築)幣殿(1910年建築)拝殿(1746年建築)は国の登録有形文化財に登録されています。